おじさんマジック記8
2020年8月17日 Magic: The Gathering コメント (3)おじさんマジック記7
https://mtgkuma.diarynote.jp/202008152237586564/
のつづき
さて、そんな恵まれた環境でマジック三昧だったが、相変わらず変なデッキを組んでは負け散らかしていた。それでも楽しかったし、少しずつではあるが上達も感じていた。あるとき、高木がPTQを突破し、PTの参加権を手に入れた。とても嬉しかった。この時、初めて高木の練習相手にならないといけないと思った。実力やデッキ選択的に私の練習相手になってもらったことはあっても、彼にとって練習になったことはなかっただろう。この時ばかりは私もちょっと頑張ろうと思った。
PT参加が決まってから、飯、風呂、洗濯のみで寮に帰り、寝泊まりはすべて高木の家だった。1か月程宿泊したがほとんどマジック漬けだった。大学の授業もかなりサボった。ちなみに通算すると大学生活の4年6か月のうち、1年分くらいは高木の家に泊まっていた気がする。押入れの一部に私の私物置き場があったくらいだ。
環境にあるデッキをできるだけたくさん作り、ネットで情報を得ながらひたすら回した。オリジナルのデッキは組まず、環境の理解に努めた。大会にもできるだけ参加し、試合勘も磨いた。初手のキープ基準の確認やサイドボードのイン・アウト、コンバットについてもこのとき、初めて真面目に考えた。そんな調整をつづけ、PTに参加した高木を送り出した。
高木は可もなく不可もなくの成績で帰ってきた。その時のPTでお披露目されたデッキはハウリングアウル。環境にあるデッキを使うのではなく、オリジナルのデッキを環境に持ちこむ。プロのすごさを実感した。しかもMOで調整され、MOをしていないプレイヤーはその動きを知らずに負けるという、デジタルマジックが必要となる未来を垣間見た瞬間でもあった。また、優勝は白黒ウィニーで、メタゲームを回す上位層は本当にすごかった。1か月程度ではまだまだ練習不足であることや、練習相手の質が大きく影響することを痛感した。結局私は高木にとっては一人回しよりはマシ程度の実力までにしか伸びなかったのだろう。高木のマジック熱はPT参加によりさらに高まった。しかしPTが終わってからは私はまたカジュアルプレイヤーに戻っていった。
https://mtgkuma.diarynote.jp/202008152237586564/
のつづき
さて、そんな恵まれた環境でマジック三昧だったが、相変わらず変なデッキを組んでは負け散らかしていた。それでも楽しかったし、少しずつではあるが上達も感じていた。あるとき、高木がPTQを突破し、PTの参加権を手に入れた。とても嬉しかった。この時、初めて高木の練習相手にならないといけないと思った。実力やデッキ選択的に私の練習相手になってもらったことはあっても、彼にとって練習になったことはなかっただろう。この時ばかりは私もちょっと頑張ろうと思った。
PT参加が決まってから、飯、風呂、洗濯のみで寮に帰り、寝泊まりはすべて高木の家だった。1か月程宿泊したがほとんどマジック漬けだった。大学の授業もかなりサボった。ちなみに通算すると大学生活の4年6か月のうち、1年分くらいは高木の家に泊まっていた気がする。押入れの一部に私の私物置き場があったくらいだ。
環境にあるデッキをできるだけたくさん作り、ネットで情報を得ながらひたすら回した。オリジナルのデッキは組まず、環境の理解に努めた。大会にもできるだけ参加し、試合勘も磨いた。初手のキープ基準の確認やサイドボードのイン・アウト、コンバットについてもこのとき、初めて真面目に考えた。そんな調整をつづけ、PTに参加した高木を送り出した。
高木は可もなく不可もなくの成績で帰ってきた。その時のPTでお披露目されたデッキはハウリングアウル。環境にあるデッキを使うのではなく、オリジナルのデッキを環境に持ちこむ。プロのすごさを実感した。しかもMOで調整され、MOをしていないプレイヤーはその動きを知らずに負けるという、デジタルマジックが必要となる未来を垣間見た瞬間でもあった。また、優勝は白黒ウィニーで、メタゲームを回す上位層は本当にすごかった。1か月程度ではまだまだ練習不足であることや、練習相手の質が大きく影響することを痛感した。結局私は高木にとっては一人回しよりはマシ程度の実力までにしか伸びなかったのだろう。高木のマジック熱はPT参加によりさらに高まった。しかしPTが終わってからは私はまたカジュアルプレイヤーに戻っていった。
コメント
おじさんになると昔を懐かしむようになるよね