おじさんマジック記5

https://mtgkuma.diarynote.jp/202008130938156879/

からのつづき

田舎ながらも月1回は大会が行われることが分かり、学校では勉強、放課後は部活、休日は部活ときどきマジックという充実した高校生活を送った。次第に大会会場の人とも打ち解け、仲良くなっていった。しかしながら、同年代のプレイヤーは少なかった。この年頃の時は1歳差でも先輩や後輩があり、同級生のプレイヤーがいないのがさびしかった。しかし学校ではマジックをやっているという話は聞かず、また中学時代に「まだマジックやってんの?」と言われたこともあって自分からマジックをしていると言うこともほぼなかった。大会に参加する日々を重ねていき、高校3年になったある日、同じクラスになった広田(仮名)が最近マジックを再開したということで私の事に来て「ねえ、ギャザやってるっちゃろ?今度対戦しようぜ。」と言うってきた。宮崎の人でも「ぜ」って使うんだと驚いた。かくして広田という同級生プレイヤーの登場で、学校にもマジックの要素が加わり学校生活は充実していった。「受験勉強は放課後に学校でする!」と言い張っていたが実際は放課後に広田の家に行っては遊んでいた。そして、一緒に大会に行くようになっていった。学校ではデッキの話ばかりをし楽しい生活だったのだがやはり受験は気になる。お互いに少しセーブをした記憶がある。
 大学が早々に決まった私はマジック三昧だったのだが、広田は受験勉強モードを継続していたため、そっとしておいた。そして卒業式を迎える。国立大学の合格発表は卒業式後なので広田の合否は聞かずに春休みに入って進学していった。


 進学先は高知県。宮崎と気候が似ていて環境は良い。悪名高き学生寮に入り、何とか生活をしていた。大学生活を不慣れながら送っていると、クラスが同じ高木(仮名)と授業の代返とかで協力しようという話になった。その際にメールアドレスを教えたのだが、私のアドレスは好きなカードの単語と別の趣味の単語のダブルミーニングで付けたアドレスだった。興味をもたれたので理由を教えたら「マジックやん!懐かしいわ~。俺もやっててん。受験のために辞めてたけどな。」と関西弁で食いついてきた。「運よくプレイヤーが釣れた」と思った。同時に「中断していたみたいだから、いろいろ教えてやるか。」と何故か上から目線になっていた。さっそく高木は帰省の際にカードを取ってきたが、私は驚いた。彼はテンペスト以降で中断していた1年(オンスロートからミラディンあたり)以外の強力カードをかなり持っていた。「もうちょっと買い足せばエクテン組めるんやけどな~」とか言っていた。彼は関西圏の人間だったので、カードショップはある、大会も頻繁にある、GPも参加したことあるという環境にいた。私の上から目線の勘違いを一瞬で是正してくれた。マジであの勘違いは何だったんだろう。かくして時間が多く使える大学生のマジックライフは順調な滑り出しだった。
 大学入学と同時にパソコンを買い、わたしもインターネットも十分活用できるようになっていた。通販でBoxを買い始めたのもこのころだった。近くのショップを探し、FNMにも参加した。大学の授業中も大体は高木の近くに座り、ノートにデッキのアイディアを書いて見せ合う。授業なんてほとんど聞いてなかった気がする。高木はマジックも上手な上に競技志向だったので、オリジナルのデッキではなく環境のあるデッキを複数組んで選択・調整してくタイプであった。私は下手な上に好きなようにデッキを組むタイプなので彼の練習相手にはなれなかったが、一人回しよりはマシだったのかもしれない。ともあれ彼から競技マジックのスタンスを学んだ。
 よく行っていたショップには常連さんがいて、最初は緊張したものの温かく受け入れてくれた。同世代のプレイヤーも多く良くしてもらった。Foilerの方が大学生の私に気を使ってかなり高値でFoilを引き取っていただいたり、別の方に人数が足りないからと言ってドラフト代をおごってもらったこともある。初心者や初めてくるお客さんに優しく、溶け込みやすい雰囲気が作られていた。今思えば一度くらいバーミヤンドラフトに参加しとけばよかったかな。

つづく

コメント

Ryo
2020年8月16日17:31

なつかしすぎるw

くま
2020年8月16日18:02

やろ。
楽しい大学生活やったよ
ありがとうね

Ryo
2020年8月16日19:39

こちらこそ。

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