レガシーに手を出したきっかけについて

2006年、当時大学3年だった私は留年の危機に瀕していた。バイトとマジック漬の日々の代償だった。

夏休みに「留年回避プラン」を考え、結果、バイトを辞めることにした。

最大で15万を超え半期に一度は10万超えのボーナス+正月は社長からお年玉と、かなりいいバイトだったが、仕方ない。奨学金で全ての生活は賄えたので不安はなかった。

しかし、マジックはできなくなった。当時は毎回3BOXほど購入していたが、収入が無くなってしまったため、「時のらせん」からカードを買うのをやめた。スタン引退だ(ま、カード借りて大会出たりもしてたけど…)

勉学のほうも、土日に真面目に勉強したり、レポート書いたり忙しくて余裕はなかった。

そんなこんなで無事留年を回避し、とある人気のない教授の研究室に入った。

無事とは言いながらも、理系はわかると思うけど、実験の嵐でバイトなんかできず。マジック再開の目処は立たなかった。

「カード買えない」→「スタンダードできない」という状況ではあったものの、マジック仲間の練習相手はというか壁?)はしていた。マジックは楽しかったからだ。

「マジックは楽しいけどスタンはできない」このジレンマを抱えているときに目に入ったこの動画

鴨葱杯
http://www.nicovideo.jp/watch/sm918785

ベルチャーすげぇ

レガシーには若干興味はあった。特に青緑マッドネスなんてデッキが生きていて2000年のインベイジョン発売からマジックしている私にとっては「がんばれマングース!」的な感じでちょっとチェックしていたのだ。

しかしながらそこには、今でも新規参入者が手を出しにくい原因である「Willが…」「デュアランが…」の壁があった。

そんな矢先にベルチャーだ

このデッキ、コモン・アンコモンがほとんどで《Taiga》と《ライオンの瞳のダイアモンド/Lion’s Eye Diamond》だけ何とかすれば今持っているカードで組めることに気付いた。

幸い、《金属モックス/Chrome Mox》、《燃え立つ願い/Burning Wish》なんてのは持ってたし、《土地譲渡/Land Grant》や《ほくちの壁/Tinder Wall》、《Elvish Spirit Guide》はそんなに高くない。《Taiga》も持ってる《踏み鳴らされる地/Stomping Ground》でいいだろってことで、生活費をやりくりし《踏み鳴らされる地/Stomping Ground》型1ランドベルチャーを組んだ。

プロキシで青緑マッドネスなんかも組んでみて、友達に頼んでスタンの練習の合間にレガシーで遊んでもらったりもした。

そうして、一応マジック(レガシー)のデッキを持った状態に戻った。

辞めてから1年ちょいのことである。


無事、4年の大学生活も終わりを告げようとしていた。そして、マジックできない環境になることに若干の寂しさを覚えた。仕事の関係で、カードショップに行くことができないからだ。(俺の仕事を知っている人はわかると思う。目撃されたらいろいろアウトだったりする。)


地元に帰ろうかという矢先、事件は起こった。

成績を取りに行った時のことだ。

「よし無事122単位取れてるな。卒業には120単位必要だから、2単位多めに取っておいてよかった~」

「卒業には124単位必要ですよ」

「えっ」

「えっ?」


マジックを辞めてまで回避した留年が4年間に及ぶ「120単位で卒業」という勘違いで現実のものとなった。

そこから本気の私

大学の寮は出ないといけないので、アパートを探す、学費+生活費を捻出するためのバイトを探す。

幸い1コマの授業でいいので保険の意味も込めて1日4コマとり、6日はバイトするという生活。

前期で卒業する4.5ヶ年卒業プラン。

カードをことごとく売って生活費に充てたりもした。

そして、スタン・エクテンで使えるカードは無くなってしまい、レガシーでしか使えないカードは売れ残った。

「本格的にレガシーしよう」

レガシーの大会が無いのはわかっていた。でも、マジックはしたかった。

どこかで大会があれば出られる状態にしたかった。

そんなこんなで、《Force of Will》を買ったりして青単BTBを組んだ。

ベルチャーとBTBで遊んでた矢先、今は無き某トレード掲示板で《古えの墳墓/Ancient Tomb》4.《裏切り者の都/City of Traitors》4、《タルモゴイフ/Tarmogoyf》4、その他セットが2万円であった。

スタンのカードやショックランドを合わせ12000円で落札。当時の《タルモゴイフ/Tarmogoyf》は5000円を優に超え、2マナランド8枚もありお得だった。

そうして、レガシーどっぷりの生活に入って行った。2008年7月のことである。



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